「乾かす権利」 | Sphera Solutions, Japan株式会社


「乾かす権利」

今、米国で、住民組織などが物干しを禁止してはならないとする「乾かす権利」を保障する州法の成立が相次いでいるという記事を見た。確かに洗濯物を干している光景は米国にいても余り見たことがなかった。“貧乏人のすること”という意識が定着していたからだと思う。洗濯物を物干しに干すことがそんなに格好悪いことなのか?乾燥機を持っていることがそれほど裕福なことなのか?

 

「全ての米国民が年に10カ月洗濯物を外に干せば、二酸化炭素排出量を1200万トン削減できる。各家庭で月々25ドル電気代を節約できる。」と主張する米国の市民団体に敬意を表したい。太陽エネルギーはエネルギー供給の元締め。環境問題でも太陽の価値・波及効果を正しく理解しないといけないと私も思う。

 

スペインを旅した時にガイドが、夏は太陽の光が強すぎて「太陽臭い」といっていた。たしかに街には一種独特の陰と光が作り出す雰囲気があり、街行く人々の肌や衣服に強烈な光があたり、窓辺で洗濯物を乾かす。水分の少なそうな木の葉、オレンジの街路樹。蒸発した汗や洗濯物からの水分などが大気に混じっていた。太陽の存在感にガイドの冗談がかったコメントにも納得したのだ。太陽は生活の一部に取り込まれているように見えた。暮らしの歯車としての太陽だ。

 

小さい頃の絵本の一節(正確でないかもしれないが)をまだ覚えている。子どもにとっては、「お天道様」として太陽は偉大だった。

フユガサヨナラシタアトニ、ハルガキタキタ、ハルガキタ。シンメヨツボミヨミナオキロ、アツイガイトウモウイラヌ。ハチハナカナカイソガシイ。ミツヲアツメテヨクネッテ、オテントサマノオチカラデ、アマイオイシイミツニスル。

 

私は今、太陽光の恵である木材や森林の価値を環境という視点でうまく表現したいと悩んでいる。京都議定書以降いわれているように、「木材は二酸化炭素の一時の貯蔵」なのかもしれないが、それだけではお天道様に申し訳ないような罪深さを少し感じている。

太陽の本当の価値は何なのだろう。(L