「フェルメールの構図」 | Sphera Solutions, Japan株式会社


「フェルメールの構図」

ハーグからトラムでデルフトへ。フェルメールが「デルフトの眺望」を描いた地点に立ってみた。デルフトという街の成り立ちをよく知らない。私にとっては、ただ、フェルメールという画家の名前と絵だけで知っている街だ。

デルフトの町を海が入り込む湾越しに見た眺望かと思いこんでいたけれど、絵の中で街の手前に広がる水面は川だということを知った。私が立っているのは自転車専用道の端。もちろん人通りもなく、自転車も殆ど来ない、街の人から忘れ去られたような岸辺から描いた絵が「デルフトの眺望」だった。フェルメールの時代は自転車道もない時代だったと思うし、もっと、落ち着いた広場だったのかもしれない。でも、この地点からの景色が画家の感性を震わせたと思うだけで、一つの仮想時間トラベルを楽しむことができた。中央にスヒーダス門、右にロッテルダム門が描かれ、中央に新教会の塔が明るく輝く。

実際に絵は、ここから描いたのだろう。特徴的な絵のコンポーネントを確認できる。でも、当然のことであるけれど、絵と現実は違っている。画家フェルメールは落ち着いたデルフトを表現するためには塔の大きさを多少変更し、門の場所も少し動かして、一番バランスよく配置する。画面上下方向下3分の1辺りから落ち着いた街の遠景。手前に建物などの影が映る水面、さらに手前には、砂地で立ち話する人物を目立たぬように配置する。ほぼ上半分が雲の浮かぶ空だ。街の人々の生活を象徴するシンボルと日常を描き込み、デルフトというタイトルを掲げる。だから街の表札代わりになるのだ。

絵には華やかな祭りも、花も描かれていない。ただ、重厚感あふれる落ち着いた日常の街の生活だけを想像できる。昨日も今日もこんな景色だった。……という具合だ。

LCA(ライフサイクルアセスメント)でもよく対象を見ることが大切だ。何か調和の欠けるプロセスがある場合、そこは本当に必然であるのかを疑ってみる必要がある。あるいは、特異なプロセスに付属して、ありきたりのプロセスで構成されている場合、ありきたりのプロセスは十分に吟味された結果だろうか?

画家が絵筆を動かすときと同じように、良く考える必要がある。(L)

コメント 1件

  1. skylineR31gts Says:

    フェルメールの「デルフトの眺望」など見たことはなかったので、本ブログを拝見し、先程ネットで確認しました。そこに立ち寄られたのですね。

    自分のお気に入りの絵や写真の場所を実際に訪れることができるのは羨ましいと思います。一方で、写真の方がきれいに見えるようなこともあり得ますね。私の場合、金閣寺がそうでした。近くで見ると金箔がよごれていたという記憶があります。

    それでも実物を見るのは意味があることですね。もちろん写真よりも感動することも多いですからね。何より今回のpeasiaさんの場合のように作者の意図を感じ取れることもありますからね。

    とても素敵なヨーロッパ旅行でしたね。

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