「絶滅危惧動作」 | Sphera Solutions, Japan株式会社


「絶滅危惧動作」

 なるほど、そんな捉え方があるのだとピン(なるほど音)ときた記事だった。東京芸大の大学院生が最近あまり見られなくなった動作の図鑑を作ったという。身の回りでも、テレビのチャンネルを変える動作として大き目のダイヤルを回すことはなくなった。

 

 図鑑には57の絶滅危惧動作が並べられている。その例として「墨をする」というのが挙げられている。実は、書道練習で毎週実行していることであり、改めて自分の行動が化石化してきていることにショックを受けている。図鑑を編集した人は、「絶滅危惧動作だから生活にそぐわないと言っているわけではないし、絶滅危惧動作を必要以上に愛おしく思っているのでもない」と言っている。ただ動作とは何か、動作はどのように変化するのかを冷静に観察しただけのことだという。動作に着眼したおかげで「モノの数=動作の数」というルールを発見したとも言っている。

 

 たしかに、パソコンに一日向かっていることを考えてみよう。時事ニュースのチェック、人工知能やIoT関連のトピックス、お客様とのメールのやり取り、LCA(ライフサイクルアセスメント)を使ったモノやコトの環境負荷の計算など、パソコンと向き合っている時間が長い。体は大きく動かさない。腕も振り回さない。腰を上げるのも日に数回。パソコンの性能が上がり、情報ネットワークが緻密になるとともに、使用する道具の数が減り、その分動作も減ってきている。

 

 まさか、「カバのような大きな動物が海で歩く動作が不要になったので、鯨のように体形に変わってしまったという状況(私の想像です)」に人間もなることはないだろうとは思うけれど、使わない機能を失っていくのは一種のホラーだ。

 

テニスの全豪オープン、アラブ首長国連邦で開催されているサッカーアジアカップなどのどの出場選手のプレーを見ているとほれぼれする。一つ一つの動作も美しい。意思がはっきりした動作の連続とそのバランス。

 

「モノの数=動作の数」である。そのことをヒントに考えてみた。「考える数=発想の数」。「友達の数=約束の数」。「旅の数=リフレッシュの数」……なんかどうでしょうか。

 

だから、モノを使い、考え、手足を伸ばし、外に出て旅を楽しむつもり。(L)

 

コメント 1件

  1. skylineR31gts Says:

    おもしろい発想ですね。さすがpeasia様、「モノの数=動作の数」、「旅の数=リフレッシュの数」……ですか。

    私も考えてみました。「車の数=思い出の数」、「人の数=創造の数」。どうでしょうか。

    「車の数=渋滞の数」、「車の数=事故の数」、「車の数=環境汚染の数」、「人の数=混雑の数」」、「人の数=食料不足の数」とならなければ良いなと願っています。

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