「能・狂言」 | Sphera Solutions, Japan株式会社


「能・狂言」

 初めて、能・狂言を見た。テレビでは何度も見てきたが、実演を観賞する機会はなかった。テレビ画面の中の世界と実際の演技の世界はどう違うのだろうか?

 

 格別に能や狂言に精通しているわけでもなく、謡曲に長けているわけでもない。……太鼓や鼓のリズム感に酔いながら空気を震わせる笛の音が印象的で、ただただ「舞台の上の張りつめた緊張感を味わった。」というのが私の初めての能・狂言観賞の感想だ。

 

 能はシンプルであることは知っていたが、実際に観賞してみると“研ぎ澄まされたシンプルさに満ちた芸術”なのだとあらためて思った。動きや発声、音を抑制し、必要なことだけを明瞭に伝達する芸術は世界でもそれほど多くないのであろう。だから外国の方もこの緊張感とシンプルさにひかれて観賞に来られる。その気持ちはよく分かる。私が見た演目は世間話に出てくる現代でも通じるような題材であるけれど、そのテーマに揺れ動く心の状態を理路整然と肉声で説明しながら演ずる芸術のようにも見えた。だから登場人物は哲学的にさえ見えてしまうのだった。

 

 舞台の上での発声は見事で、迫力満点だ。小声でささやくような発声はない。声と動作や所作の一体感が何とも素晴らしい。演じている人物の動きが全て言葉と和楽器で表現されているので、観賞している人に誤解を生じる余地を与えない。

 

 LCAでは物質、エネルギーなど客観的に把握できるものだけに注目し、製品やシステムの環境負荷を解析している。LCA解析者の判断にすがる部分を排除している。だから、LCAでは製品をつくる現場で汗水たらして働いても人に関する寄与分は一切評価されない。データの客観性を追求している。つまり環境の把握においては、恣意的な結論が許されていないのだ。

 

 LCAでは製品がいかにきれいにパッケージングされているかを問わない。そのパッケージングがいかに環境に配慮されているかをLCAで見る。パッケージングデザイナーの環境への心意気がLCAで分かる。

 

 能舞台の左手奥に“後見”が配されている。舞台における文鎮の重みあり。(A)

コメント 1件

  1. skylineR31gts Says:

    私は「能」を実際に見たことはありませんが、言われてみると確かに「シンプル」な芸能とと思えてきました。日本に生まれながらも、一度も鑑賞したことはないですね(歌舞伎も祖同じですけど)。外国の方の方が関心が高く、私よりも詳しいと思います。私も一度は鑑賞して“研ぎ澄まされたシンプルさに満ちた芸術”を感じてみたいものです。

コメントをどうぞ