産業総合研究所を中心とする産官学の研究チームが生命科学実験をロボットを使って自動化することに成功したという。確かに、生命科学の実験は試薬を入れるとか、かき混ぜるとか、容器を変える、対象の検体を観察するなど、一つ一つは単純な動作であるけれど、タイミングや時間など微妙な実験の連続のように思える。
ロボット複数台で実験した結果、実験結果の再現性が良くなるということが分わかった。実験の透明化にも寄与すると思うし、実験工程のデータ化も可能だ。ロボットの新しい活用場所になっていくかもしれない。
人間の頭脳活動をサポートするためにAI(人工知能)が研究され、すでにその実力は人の能力を超えるものまで出ている。そして今、単純だけれど、注意を必要とする微妙な作業が続く一連の作業をロボットが行うようになってきた。
新聞には「工程を決め、プログラムをロボットに組み込めば実験できる」というキャプションがついた“人型双腕ロボット”の写真が載っている。(ロボットを目の当たりに見たわけではない。写真を見ただけだ。だから正しくロボットを表現していないかもしれない。)私の第一印象は不気味なロボットだと思った。無人の実験室で腕だけのロボットが単独で試薬を注いだり、容器を交換したりしている様子は何かおかしくないか。
幼児は人間を画くとき、胴体部分がない人間を描く。そのような絵を発展教育学では「頭足人」というらしい。子供だって人間と言ったら目があり鼻があり、口がある生物だと信じている。子供にしてみれば胴体よりも目、鼻、口の方が大切なのだ。
そこで、ロボットには必ず頭を付けるという案はどうだろうか。カマキリのように小さくても良い。小さいながら顔があって、愛嬌があればなおよい。
自動車のフロントデザインも、電車の前面も何となく顔が付いているように見える。だから、ロボットだって、顔が付いていればもっと親しみがわくのではないだろうか。
ロボット-人間社会で、「ロボットは顔を持つべき」だと思っている。(C)
4月 10th, 2017 at 8:38 AM
「ロボットは顔を持つべき」そう言う考え方もあるのですね。言われてみれば‘なるほど’ですね。ロボットなので、効率を追求し、無駄のない機能だけで良いという考え方もあるかと思いますが、‘顔’があった方が親しみが持てますね。
初代新幹線の時代は、機能を追求した結果、あのような顔付きになったのだと思いますが、何とも言えない親しみのある顔でした。これからは、機能の追求だけではなく、まず顔付きありきかもしれませんね。