「砂浜を歩く」 | Sphera Solutions, Japan株式会社


「砂浜を歩く」

秋晴れの一日、鵜原の海岸散歩を楽しんできた。昔、通学した小学校の臨海学校施設があって、懐かしい思い出がいっぱい詰まっている海岸だ。潮の香りを覚えている。小さな貝殻が砂浜に昔と同じように埋まっている。湾の両翼にそそり立つ崖の地層も昔の通りだ。

本当を言うと、現在の海岸は、昔と景色が違う。海岸には堤防ができていて、砂浜から階段を上らないと集落には戻れない。昔は砂浜から緩やかな斜面が続く松林だった。だから臨海学校までは丸太で砂止めをした階段を上って帰ったものだ。妙な記憶だけれど、足の指でギュッと砂をつかむとサラサラして気持ちが良かった。

あれから時が経っているのだから、人の生活も変わるのは当然かもしれない。クルマも増えたし、家の作りも変わり、道も舗装されている。今回、カニが道を横切る姿は見られなかったし、“マムシに注意!”という警告表示もない。

日焼けした漁師の顔、堤防沿いの道路まで伸びてきた集落、トビが飛び交う海岸風景……などと記憶の再整理をしてきた。誰もいない砂浜で……。

記憶の再整理では解決しないことがある。堤防の足もとに打ちあげられたごみの類だ。木船が朽ちていくのはまだ景色になるけれど、発砲スチロールの塊や、プラスチック製品とその部品、ペットボトルなどが海藻に混じっているのは様にならない。

住んでいる人と関係なく波が運んできたごみは誰が処理の責任を持つのかという問題だ。東日本大震災で流れ出した大量の廃棄物がハワイをかすめ、北米まで流れ着いたという記事を読んだ記憶がある。北米の海沿いの町に迷惑をかけてしまった。

私がLCA(ライフサイクルアセスメント)に興味を持ったのは、物をリサイクルすべきだと思っていたからだ。リサイクルしてごみを出さないようにすることが大切なのだ。ごみの処理は地方自治体や企業が腰を据えて対応してくれていることは十分承知している。けれど、“ごみ処理は他人任せ”思考は何かおかしい。

“ごみ”の発生者には“ごみ”の資源循環まで見極める責任があると私は思っている。(C

コメント 1件

  1. skylineR31gts Says:

    鵜原海岸とはどこだろうと思いましたが、千葉県の勝浦なんですね。たいへん景色の良い海岸のようですね。

    「懐かしい思い出がいっぱい詰まっている海岸」があるのは素敵なことですね。私は残念ながら「海岸の思い出」はあまりないのですが、そうですね。その昔、横須賀で仕事をしていた時に職場から見える海を思い出します。海岸という感じではないですけどね。軍艦もみえました。懐かしい思い出です。

    「ごみ”の発生者には“ごみ”の資源循環まで見極める責任がある」私もそのとおりだと思います。素敵な海岸にペットボトルが浮いていると本当に残念ですものね。

    地球環境を守る第一歩は、自分のゴミは自分で処理する(リサイクルする)ことかもしれませんね。

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