「罪滅ぼし」 | Sphera Solutions, Japan株式会社


「罪滅ぼし」

身に着けたい作法がある。神社参拝の二拝二拍手一拝だ。碑文谷公園の弁天池の小島に厳島神社がある。散歩の途中で見つけた水辺の神様だった。気軽に参拝したのだがなにかぎこちない。祈りのリズムが神様のリズムと共鳴していない。そして、参拝がスムーズでないと気分はすっきりしない。

二拝二拍手一拝という凛々しい作法が普段の生活と違いすぎるのかもしれない。途中で恥ずかしくなってリズムが崩れてしまうのだ。街中には神社は多く、七五三とか端午の節句など神社にお参りする行事はいろいろある。今まで二拍手だけでしのいできた。

自分の決心や願いを伝えることは大切だ。すっきり感のない、節目のない参拝にそろそろ終止符を打ちたい。自動車教習所で運転の基礎を習い、路上運転の練習をして免許がもらえる。作法も基礎習得に戻る必要がありそうだ。

友達の神主に自分のふがいなさを説明したところ、「お願いするのに礼を失するのは、本来よくないことなのだ。神様に対しても同じこと。それなりにお願いするのだという自覚を持つために堂々と二拝二拍手一拝ができるように作法を練習したらどうですか」とのことだった。「今度の例大祭の招待状を送りましょうか?」とのお誘いも受けている。

彼が言うには、お賽銭の扱いにも礼がある。投げ入れるのは品の良いものではない。賽銭を数本の指でつまんで賽銭箱に入れるのも良くない。なんだか乞食の前にある空いた弁当箱に入れるように見える。神への敬いを示すには、掌にのせて賽銭箱に流し込むように入れるのが良いとも教えてもらった。

今まで、なんと数多く、礼を欠いてけじめなく神仏に願い事をしてきたことか。だから願いはほとんどかなえられなかった。罪滅ぼしのために。もう一度、礼とは何かを考えたい。心を見つめ直す必要がありそうだ。

二拝。パンパン!“いい季節がやってきます。新緑をたくわえる樹々のごとく、心も身体もしなやかにそしてのびやかに過ごしたいと思います。LCAという仕事でも同じです。しなやかに、のびやかに”そして、一拝。(L

コメント 1件

  1. skylineR31gts Says:

    神社の作法では「二拝二拍手一拝」については実行していたのですが、鳥居のくぐり方や参道の歩き方、手や口の清め方など参拝全般に渡って作法があるようでして全く身についていません。

    お賽銭の扱い方についても作法があるのですね。投げ入れても全然問題ないと思っていました。鈴の鳴らし方にも作法があるのでしょうね。

    生まれてこれまで百回以上いや数百回は神社にお参りしているはずですが、正式な作法を身につけていないことをあらためて知らされます。

    強制することではないのかもしれませんが、日本の良き習慣や伝統を受け継ぎ後世に伝えていきたいものですね。

    武道では「礼に始まり礼に終わる」と言われています。将棋でも同様だったと思います。

    「恩を知ったら、心から感謝し、きちんと礼をする」この伝統を大切にしていきたいですね。面と向かって礼を言うのはちょっと照れくさいときもありますけど。

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